| 1910〜20 |
米国への留学生が帰国してアメリカンフットボールを伝える |
| 1925 |
東京高等師範学校(現筑波大)でアメリカンフットボール研究会結成し、初のアメリカンフットボール紅白戦を行う。翌年「アメリカンフットボール」という実技書を発行 |
| 1934 |
立教大のポール・ラッシュ博士の下、立教、明治、早稲田の3大学でフットボールチーム誕生 |
| 1935 |
法政、慶応が創部、東京学生連盟加盟し5大学へ。関西では関西大が創部。1936
全日本選抜が実現。船旅で米本土へ、南カリフォルニア高校選抜と対戦し、6対19。ホノルルへ渡り、ハワイ優勝のルーズベルト高と対戦、0対0。延べ50日間に及ぶ遠征だった |
| 1937 |
日本協会創立。神宮球場で東西選抜対抗戦開始 |
| 1938 |
NHK(当時JOAK)がラジオ初中継、明治対立教を全国中継 |
| 1939 |
競技規則の日本化 |
| 1940 |
同志社大創部。東西交流が活発化 |
| 1941 |
関西学院大創部。正式名称は「関西学院報国団鎧球班」関西リーグが誕生。関東ではフォワードパスの普及が始まった |
| 1942〜43 |
太平洋戦争の深刻化により活動中断 |
| 1945 |
関西から復活、米軍対抗試合を甲子園球場で実施。 |
| 1946 |
関西3大学代表により関西米式蹴球連盟設立。関東では日本大加盟 |
| 1947 |
甲子園球場にて第1回甲子園ボウル、慶応大45対0同志社 |
| 1948 |
東西選抜対抗戦がライスボウルの名がつけられて再開 |
| 1949 |
高校タッチフット活動が軌道に |
| 1950 |
甲子園ボウルで関学大が慶応大を下し初優勝 |
| 1951 |
京都大が加盟。シングルウイング攻撃主体の中、早稲田がT攻撃を登場させた |
| 1952 |
立教がTで初優勝、甲子園で関学を19対14で下した |
| 1953 |
立教が二連覇。NCAA1949年版を翻訳し初のルールブック発行 |
| 1954 |
T攻撃普及、関学が大、高、中と制覇。関西5番目の立命館大加盟。フットボール誕生20周年を機に西宮ボウルが誕生。高校全国大会開始、7回目のタッチフット王座と併設された全国大会は、いずれも関学優勝 |
| 1955 |
日大がアンバランスT攻撃で台頭、甲子園ボウルで関学と同率優勝 |
| 1956 |
関西が3大ボウルを制覇 |
| 1957 |
日大が甲子園で単独初制覇 |
| 1958 |
日大がリーグの立教戦(雨)でショットガン攻撃の前身となるパント体型からのパスを登場させた。甲子園は日大が二連覇、関学と二強時代に |
| 1959 |
日大の黄金時代へ。関東は10大学の加盟で1部・2部制へ |
| 1960 |
立教大が6年振りに復活。甲子園でも関学を36対16で下し3回目の制覇 |
| 1961 |
高校界で孤高を保っていた関学高が200戦無敗という大記録を樹立。TBSが初のリーグ戦(日大対防衛大)テレビ中継 |
| 1962 |
日大第二期黄金期へ。関学高が市立西宮高に0対12で敗れ、連勝記録は204でストップ |
| 1963 |
関学は甲子園ボウルで屈辱的な7連敗、日大は3連覇 |
| 1964 |
日大が破竹の勢いで4連覇。日本フットボール30周年を記念し戦後初の米遠征選抜チームが実現、ハワイ大と対戦 |
| 1965 |
立教大が5年振りに甲子園へ。甲子園は関学と引き分け、両校優勝 |
| 1966 |
関東での加盟校が18校となり、3部制の運営へ |
| 1967 |
加盟校が急増、関東24大学、関西が12大学へ。甲子園は米国式技術に取り組んだ関学が日大を下し、11年振りに優勝 |
| 1968 |
明治大が21年振りに甲子園にカムバック。関西も1部2部制を導入 |
| 1969 |
日大10度目の甲子園制覇。日本協会会長に大平正芳通産大臣(当時、後に内閣総理大臣/故人)が就任した |
| 1970 |
関学が日大に並ぶ甲子園10度目の制覇。関東では従来の二部制から、並列5ブロック制編成替えを行い、関東選手権を創設。全国高校大会でタッチからアメリカンに変えた大会が開催された |
| 1971 |
チャック・ミルズ監督率いるユタ州立大が来日、全日本を関東、関西に分けて対戦。いずれも大敗したが、日本フットボール界に黒船なみのインパクトを与えた |
| 1972 |
法政大が関学を下し甲子園初優勝。ハワイ大が来日、日本フットボール界は、急速なレベルアップが計られていった |
| 1973 |
ミルズ監督がウェイクフォレスト大を胎動して来日。関学大韓国遠征、グアム大、JFケネディ高来日、関学高ハワイ遠征と、国際交流が活発化 |
| 1974 |
ノースウエスタン大が来日。東京五輪百米走優勝のボブ・ヘイズがプロ(ダラス・カウボーイズ)として来日、在日米軍に加わり東西社会人選抜と対戦、話題を呼んだ |
| 1975 |
米国建国二百周年を記念して、米国NCAA公認の東西オールスター戦ジャパンボウルがスタート |
| 1976 |
日本最初の米プロフットNFL公式プレ・シーズン試合でセントルイス・カージナルスとサンジエゴ・チャージャーズが来日。NCAA公式戦のパイオニアボウル開催。リーグ戦で関学は京都大に連勝記録145でストップされたものの、リーグ29連覇。甲子園は関学4連覇。米国アイビーリーグのコーネル大軽量級チームが来日。2度対戦し、名古屋瑞穂競技場での再戦に17対15と米国大学に初勝利。パールボウル発足 |
| 1977 |
関学が史上初甲子園5連覇。日米交流には強豪ブリガムヤング大(BYU)が来日。関西リーグがこの年より公式記録を発表。パイオニアボウルはミラージュボウルに名称変更 |
| 1978 |
日大がショットガン攻撃を完成させて復活、甲子園ボウルで関学を撃破。関西初NCAA公式戦よみうりボウルを西宮球技場で開催(ユタ州立大対アイダホ州立大)。横浜スタジアムではBYU対ネバダ・ラスベガス大(横浜ボウル)開催 |
| 1979 |
日大の猛威炸裂。甲子園ボウルも関学を完封。関西リーグは関学が33連覇ながら、同志社と同率優勝、プレーオフ勝利の末の甲子園だった。ミラージュボウルでノートルダムが来日、国立競技場は8万の大観衆 |
| 1980 |
一試合平均104得点、失点が2点弱の日大が甲子園3連覇。ミラージュボウルにUCLA来日、国立競技場は再び8万人の大観衆で埋まった |
| 1981 |
関東リーグが並列制から、直列3部制に編成替え。日大は甲子園4連覇。東日本実業団リーグ開始 |
| 1982 |
日大が甲子園5連覇。関学の連勝リーグ記録は33で止まり、甲子園は京大が初出場 |
| 1983 |
前人未到の甲子園6連覇に注目された日大を京大が阻止。日本フットボール50周年を記念してライスボウルが日本選手権に衣替えされ、京大とレナウンが対戦、京大が初栄冠に輝いた |
| 1984 |
甲子園ボウルは日大と関学が劇的な引き分けで両校優勝 |
| 1985 |
9年振り4度目の甲子園ボウルに明治はまたもや関学に苦杯。ライスボウルはレナウンが関学に勝利し初優勝 |
| 1986 |
京大が再び台頭、甲子園ボウル、ライスボウルを制した |
| 1987 |
京大2年連続日本一で、一般スポーツ界に強いインパクトを与えた |
| 1988 |
11年振りの日米大学交流戦エプソンアイビーボウル発足。日本選抜はウイリアム&メアリ大に3対73と大敗 |
| 1989 |
12年振りにプロNFLのプレシーズン試合・東芝アメリカンボウル開催(SF49ナーズ−LAラムズ)。甲子園は日大が19度目の制覇。アサヒビールシルバースターがライスボウル初出場。第2回エプソンアイビ−ボウルは、初のアイビーリーグ・オールスターが組織されて話題を呼んだ |
| 1990 |
日大が史上初のライスボウル3連覇 |
| 1991 |
前年度初のリーグ6位に転落した関学が、初出場の専修大を下して6年振りに甲子園制覇。ライスボウルはオンワードが初優勝 |
| 1992 |
京大が20年振り出場の法政を下し、5年振り甲子園制覇。アサヒビール・シルバースターがライス初制覇 |
| 1993 |
日体大が甲子園初出場した関学に敗退。アサヒビールシルバースターがライス2連覇 |
| 1994 |
90年代に急台頭して関西3強の仲間入りをした立命館大が、念願のリーグ初優勝。甲子園も法政を下して初制覇。ライスは松下電工が初優勝 |
| 1995 |
京大が8年振りにライスボウル制覇。社会人勝利が続いていたライスボウルだったが、5年振りの学生勝利。京大LB阿部が米カレッジオールスター戦シュライン・クラシックに初めて招聘されて出場 |
| 1996 |
初の日本人プロ選手が誕生し、ワールドリーグに3人参戦。京大が甲子園2連覇。関西の甲子園優勝はするも、ライスボウルはリクルートが初制覇。シュライン・クラシックには関学DL川田が招聘された。エプソンアイビーボウル休止 |
| 1997 |
創部50周年記念に京大がハーバード大を招聘して親善試合。ワールドリーグには4人が参加。甲子園ボウルは4年連続出場の法政が25年振りに関学と対戦し、引き分け両校優勝。コイントスの結果、法政がライスボウルに初出場。ライスボウルは鹿島が初優勝。8年続いたアメリカンボウルが休止 |
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